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カレー屋ガンジー

あれは確か初夏の頃。
新宿東口のパソコンショップ「さくらや」で品物を物色した日の出来事だった。
品数が多い店の中を、あれこれ見てまわったので空腹を覚えた。暑さもあって、なぜかカレーが喰いたくなった。どこかに無いか?
仕事場と違いパソコンが無い。最近は知りたいことがあると何でもまずパソコンで検索するようになったから、こういうときは方位磁石を持たないで砂漠を歩きだすような気分におそわれる。
昔は違ったぞ。
盛り場なんぞの店は嗅覚で探すものだ。とりあえず虚勢を張って歩き出すことにした。
するとどうだろう。ものの3歩も歩いたかどうか。匂いがする。カレーの匂いが。その匂いにつられて行くと、路地裏にある、すすけた建物の入り口にメニュー看板が立てかけてある。こういうちょっと古くてヤバそうな店は、地元の固定客がいるということだ。間違いないと踏んで、階段をあがった。ロックビートが聞こえる。
混んでいたのでカウンタ席に案内された。
カウンタの中では若い男の子が皿に飯を盛っている。その手前に、つまりカウンタに座った僕の、目の高さよりやや高い位置に何やら異様な、しかしどこかで見たようなものが、存在している。カレーの油が染みこんだ年期の入った店の雰囲気の中で、そこだけが神秘的な空気に包まれている。
背筋を伸ばして、その物体を上からみた。
思わずニヤリとしてしまった。
ウイルソン・ベネッシュ。
アナログプレーヤだ。
しかし、出力ケーブルも接続されていない。カートリッジも無い。
ななだか変な店だ。ディスコでもないのに。
心を落ち着かせ見渡すと、カウンタ席の横にはそびえ立つラッパがある。あのB&W社が、巻き貝ノーチラスより前に製作していた白いサキソホーンのようなスピーカ、(Emphasisというらしい)が空中に浮いている。いやよく見るとその下に、年代物の、あれは多分ヤマハの伝説的SPである1000番が置き台にしてあった。
あれだけ奇抜なデザインだから、一際目立つはずだが、店内の空気に完全に埋没している。本来白いスピーカだと思うが、店の油煙と煙草の煙などもこびりついるからだが、それもまたよし、だ。
アンプやCDプレーヤはアキュフェーズとかSONYのもが何台も積み上げられて、狭い店内をなお一層狭くしていた。

言葉で書くとダラダラと長ったらしい。けれど僕は専門家らしく鋭い眼光で見渡し、一瞬でこれらの状況を見抜いたのだ。
この店の店主はだれだ。
マニアっぽい顔を探したけど見あたらない。
さりげない顔で、カウンターの中の若い男の子に声をかけた。
「面白いSPだね」
「親父が好きなんですよ」
今時の若者のように語尾を「ですよオッ」と言わないところに好感をもった。
でも、どうやら、オーディオの話を出来る相手はいないらしい。
ロックのビートになぜだか、ノスタルジックな響きがあって、心惹かれるものを感じた。
「これは、誰のCD?」
「ヨーロッパに近いロシアあたりのグループみたいです」
すると、
「タワーレコードで見つけたんです」
と、カウンタの中から女の子が出てきてジャケットを見せてくれた。もちろん知らないグループだけど。
こういうメジャーPOPSでないものを選んでかけている所を見ると、多分マニアの道に踏み込んでいるのだろう。
「いい選曲で、いい音だね」
「ありがとうございます」
礼儀正しい若者だ。
多少汚れたようなその音は、店の空気と一体になって、かえって相応しい。
全く無意識に店に馴染んでしまったようなその音が、日頃、実力眼一杯の音と対峙している僕の緊張を心地よくほぐしてくれた。
高級オーディオ雑誌が日本全国でわずか1万部売れるかどうか、とも噂されるオーディオ業界。マニア人工は極めて少ないはずだ。人で溢れる新宿の雑踏に石を投げてもオーディオマニアにぶつかる可能性なんて宝くじ当選以下の確率ではないのだろうか。
思わぬところで思わぬ音に出会い、僕は巡り合わせの運命を感じた。

あ、お店の味の方ですか?
空腹と音と音楽のせいもあって、僕はぺろりと平らげたました。結構、辛いですけど。