その彼はまだ30代の前半。
十分に若く、人生に対してすこぶる精力的だ。
後にきいたことだが10代ですでに身を起こし、自らの責任で大勝負にでて、ビジネスに成功しポルシェをかっ飛ばすような凄い「少年?」だったらしい。
恐ろしいほどに早熟で、凡人には計り知れない仕事度胸を持った人のようだ。
昨秋のある夕方、その彼から電話を貰ったのが出会いである。
友人の持つイルンゴ製オーディオケーブルを聴かせてもらって感じるモノがあったらしい。鋭い質問をなさる。
といったところで、オーディオに使うケーブルなんて、本来プラスとマイナスの2本の線が繋がれば、どんな線だって音くらいは出てしまうのだ。理屈をつけたところで所詮、音質なんて伝わらない、と思っている。
もちろんすでに理屈と音との因果関係を体験している人ならば伝わるだろう。
けれどその特長を捕まえ体験し、「音の特徴」として認識している人が一体どれほどいるだろか。
だからオーディオにおける数字的特長なんて制作者の自慢話みたいなモノなのだ。
どうだ、スゲエだろうという自慢を、そのまま言えないから数字で置き換えているようなものだ。
ふーん、そうかあ、と素直に感心したら相手のの思うつぼ、と思った方がいい。
歪みやノイズが多かった昔なら、それは十分に自慢できる立派な技術的成果だけれど、成熟した現代のオーディオシーンでは、音と音楽表現とオーディオの数字との関係は、そうそう安易に言葉では結びつけられないものだ。
いまどき音を数字だけで語れると本気で思っていている設計者も希少だろう。
重要なのは背景にある設計思想なのだが。
あ、話がそれてしまった。
その彼と僕が、「電話で音が分かり合えた」と思うような仲になれたのはなぜだろうか。
彼は60年代、70年代のロックンロールを聴く。
僕はジャズは聴くけれど、正直、彼の好むジャンルは殆ど聴かない。
そこで二人はブルースの話しなどをしながら、音楽の表現にとって必要なことなどを共通語として、兵庫県と東京都の間で連日のように長距離電話が繋がった。
そうこうするうちに彼からデジタルケーブルの注文が来た。
製作して送ると、着いたたその日に、「音を聴いてびっくりしたと」いう電話が入る。
その後しばらくして発売になった後付パーツ、WBS-1を導入。このときもまた、感動的な電話が入る。
たったデジタルケーブル1本しか導入していないのに、彼の言葉を聴いていると、まるで全てをイルンゴ製品とイルンゴ式チューンで固めた僕の装置で聴いた後のような感想が飛び出してくる。
続けて、パッシブフェーダーcrescendo205Sとオーディオケーブルの注文が入る。
製作スケジュールが一杯なのでお待せすること1ヶ半月。やっと製作して納入。電話口の向こうには、もう完全に僕と同じ音で音楽を聴いている、と思えるような彼の興奮した声が聞こえてくる。
彼の音質を評する言葉は、制作者である僕が認識している音の核心をズバリ突いてくる。
同時に同じ音を聴かなくても、たとえ聴く曲が違っても、彼と僕は、音楽の中に同じエッセンスを感じていたのである。
そして街に枯葉が舞い散る頃、彼はついにイルンゴのデビュー作にして代表作でもあるDAコンバータ、model705の最新バージョンを発注してきた。
高額な機械である。
しかも彼はこれを一度も聴いていない。
今まで納入してきたケーブルやフェーダー、置き台のgrandezza、それに電源関連の細かな部品、そのどれをとってもまったく同じ方向を目指していて、確実に階段を上がっているのだから絶対間違いない・・・そう信じる、と。
彼はそう云ってくれた。
そこまで信じてもらえれば制作者冥利。彼の期待に応えようではないか。
しかしmodel705の最新バージョンは、内部配線もanimato化(イルンゴ式のシールド構造)が随所に張り巡らされ、プリント基板など形だけ。音よりも生産効率を優先しようという合理化された工場的発想などは一切存在しない。
全ての仕事を丸一ヶ月止めないと完成できないのである。半年ほどの中で仕事のやりくりをして、製作する。
そう、良い仕事をするには気合いをため、漲らせることも必要なのである。
やり出したら一気呵成。電話も留守電状態になる。
(その節は関係各位にご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫びします。)
翌年3月某日。
その彼がイルンゴを訪れた。
初めて見るDAC、705。
目を細め頬ずりするように見る彼の視線。
直前まで片側が故障したままだったパワーアンプを、急遽直して彼の上京に備えて準備した僕は、選りすぐりの1曲をかけた。
ロックの好きな人だ、でも我が家にロックは無い。ロックファンはギターに抵抗がないだろう、という単純な理由でギターにした。
名手パットマルティーニがギルゴールドスタインのオルガンとのデュオで見事な演奏を聴かせるJAZZの名曲「YOU DONT KNOW・・・」だ。
かれは正直にのけぞった。
あとはもう、僕が名演奏だ、と信じる曲を聴いて貰えばいい。
感度のいい人はジャンルが違っても、直感で凄さを感じ取れるものだ。
ご同行された奥様が、次ぎ次に掛けるCD番号をメモされていた。音楽が好きなだけでなく、イイワルイがピンとくる奥様のようだ。なるほど、お似合いのご夫婦。
オーディオとか音楽はノーガキをいうまえに、パッと瞬間的に聴き手の心臓を鷲掴みにするようなものであって欲しい。
そしてまた聴きに手もそれを感じ取る閃きがなければ、一線を越えるよううな再生音を出すオーディオオーナーにはなれないんじゃないだろうか。
月に一度の休日。
彼らご夫婦はわざわざ姫路から高い交通費と宿泊旅費を出してイルンゴを体験しにきたのである。
その熱意に答えたい。
「石原さん、安心して待っていて下さい。貴方のお店のJBLは私が責任を持って鳴らしてみせます」
自信を持ってそういった。
モノを売っているつもりはない。音で勝負し、音を買って頂きたいのだ。
その日の後半は、ロックの狂気で僕の装置が乱舞していた。
2003年5月末。
ついにmodel705が完成して兵庫県の喫茶店サタディサンに送られた。
翌日、驚喜の声が電話口から聞こえてきた。
よかった。
事前にスピーカーの置き台も機器の置き台も、すべてgrandezzaになっていた。電源関係もイルンゴ指定の方法に電気工事屋さんがしてくれていた。
705を迎える準備は完了していたのだ。
置いただけで、ポンと、期待した音が出た、と電話の向こうの彼が叫んでいる。
大物DAC製作で遅れていた他の仕事を一気にかたづけ、翌週、兵庫県に向かった。
機材を買って、接続して、十分満足している方の所に何をしにいくのか。
かれは今、十二分に満足していると電話口で告げているではないか。
お店に着くと、まずは自慢の自家焙煎コーヒーを戴いた。、
いまこの原稿を書いている深夜でも「コーヒー」とキーを叩いただけで飲みたくなるほどコーヒー好きの僕だ。けれどこの日ばかりは全身が耳状態。味など分からない。
で、まずはその音を聴いた。
十分にいい音であるが、まだ、世間の中での高水準。一線を越えた世界にはたどり着いていない。あと一歩でもっと凄い世界にいけるはずだ。
じっくり聴くと、電源の極性が逆、という音が聞こえてくる。
SPの足位置がずれているような音も聞こえる。
トランスポート足下のインシュレータの位置がずれたような音も。
ほんの僅かと云えば僅かなことだ。気づいたところを修正する。
少しずつ音がほぐれてくる。
あと一歩だ。
しかし、どうしても最後の一線が越えられない。
JBL、K2-5500はホーン帯域だけが張り出し、低音の伸びが不足。
機材の裏側をなめ回すように覗き込む。どこかに原因があるはずだ。
見つけた!
アンプの出口のSP端子に、SPケーブル付属のYラグとバナナプラグが刺さっている。とくにバナナプラグはニッケルメッキ下地の金メッキのキャップがネジ式で付いている。これは最悪である。
マニアが作ったSPケーブルだし、改造を嫌う僕は困った。
このキャップ、ドライバで外れませんか?
ギャラリーが集まってきて、論議白熱。アーダコーダやっても、そのコネクタキャップは本体からケーブルを半田ゴテを使って外さない限り、外れない。
オーナー石原さんが叫んだ。
「ちょん切りましょ!」
私「本当に、本当にいいんですか?」
「いいです。やって下さい」
決断は下された。
集まったオーディオ仲間達の前で、僕は金色に輝くその高価なバナナプラグを手に取り、
複雑な端末処理を外し心線を剥き出しにして、アンプの出力端子に直接挟み込んだ。
電源投入。
ズバッ!と、音が堰を切って出てきた。
まるっきり抵抗無く楽々と音が空中に舞い上がり、低音が部屋中に充満する。
音がSPから離れた瞬間である。
このとき石原さんと僕は思わず握手をしてしまった。
二人ともこれで完成した、と瞬間にして直感したのである。
これ以前、彼と僕は電話のアッチとコッチで、同じ音を聴いている、と確信していた。
実際には、オーディオを職業としている僕が聞いてみると、少々手直しすべき箇所があった。僕の出した技はオーディオ雑誌などには書いていない、機器を設計している人間だからこそ知りうる知識と音体験を総動員している。
オーディオというのは本当はこの水準まではプロがやるべきなのだろう。
しかし、それでも僕は想う。
彼と僕はやはり同じ音を聴いていたのではないだろうか。
彼は現実に出ている音以上の、音楽の中にあるものを既に感じ取っていたのである。
僕はただそれを、彼の目の前に出しただけである。
だからこそ、最後の音が出た瞬間、二人ともこれでOK、と瞬間的に判断できたのである。
世間には「音まみれの日々vol.11」に書いたように、「その先の音」が聞こえる人と聞こえない人がいる。
現実の音の、それより先の音。
それが聞こえる耳を生まれながらに持っている、彼はそういう人だった。
2003年 夏
兵庫県神崎郡福崎町西田原234-1
自家焙煎のコーヒー店、サタデーサン 夜間が音楽専門の喫茶店となります。
0790-23-0711
「愛用者の声」の頁に、サタディサンの店主、I さんから頂いたメールを掲載させて頂きました。タイトルは「そのときミュージシャンが現れた」です。
ぜひご覧下さいませ。
装置:スピーカー:JBL K2-5500
パワーアンプ:管球式 50W×2
プリ(パッシブ):イルンゴ・オーディオ crescendo205SN
DAC:イルンゴ・オーディオ model705S
CDトランスポート:エソテリックP-0
ケーブル:SPケーブル以外はイルンゴ・オーディオ製
SPケーブル:近々イルンゴ製を導入予定 (2004.1月現在)
オーディオボード 全てイルンゴ・オーディオのgrandezzaシリーズ